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1st AIR GROUP
台湾島は、15世紀までは大陸の文化の影響を全く受けない独立した島であった。本格的に漢人が入植し始めたのは1620年代からで、ここ台南に港を開設してからと言われている。つまり大陸では、明の時代である。山地人と漢族から呼ばれた原住民(漢族ではない)が生活していた孤島から 中華文明が少しずつ浸透し始めるが、歴代のの中国皇帝は領土として、それまで殆どこの島には関心が無かったから、清の時代でも砂糖や御茶の生産地として細々と現地経済を成してきたわけである。ほぼ漢族と同じ時期に台湾に来て植民地化を進めたオランダと当時はあまり変わらない影響力しかなかったから、中共政権が「台湾は、中国の一部だ・・」と胸を張れる程、歴史的な根拠は無い。日本に於ける沖縄の存在より根拠が薄いのである。台南は15世紀から日本政府が台北に総督府を置くまでの間、この台湾島における経済の中心地であり、過去は首都ともなった歴史のある町である。空軍の第1大隊が配備されているのも、こうした歴史と関係が深いようである。
the Period of F-5E/F  
第1大隊
友人のCCK-FOX君からいただいた写真「台南の航空ショーでは、F-5のタキシングが撮れるのか?!!!」しかもここのF-5Fは、鼻が白いじゃないか!!この写真を見て 早速台南の基地への憧れが強くなり 私の台南通いが始まった。1993年8月14日撮影 Photo By CCK-FOX
1993年に展示されたF-5Fは、5403号機(30129)、翼端にサイドワインダー、翼下には、レーザー誘導爆弾と右翼にロケット弾ポッドという豪華な吊るし物であった。展示飛行の詳細は不明であるが 4機ほどのF-5E/Fが飛行したと伝え聞く。
Wings
桃園でのポジション探しは苦労した・・水田の中で雑木林が点々とあり 順光で捉えられる位置を探すのは、何機か着陸を見なければ判らない。最初の機体は、完全にシャッターチャンスを逃し 御見送りの後ろ姿 後方に下がれる適当な場所が無く 全景が撮れそうなのは、逆光覚悟で前に進むしかない。フライト数の少ない台湾空軍機 夕方になって数機が降りてくれたが フライトした日に遭遇しただけで幸運だったのである。
全くひどい逆光の証拠写真ではあったが、この日は第5大隊のF-5Eの含み最初の挑戦で何とか台湾空軍の戦闘機を捉える事が出来たという満足感に浸った。この後、数機の第5大隊所属のF-5E/Fが着陸したがすべて逆光を覚悟で同じポジションから撮影した。翌年からは、撮影場所を特定できたので順光での撮影ができるようになったが、台南の飛行隊が桃園基地で撮れたのはこの日が最初で最後となった。
1982年仕事の合間にホテルから撮ったF-5E.当時ベトナム迷彩のものが多かった。
実を言うと1981年から2年の駐在時代、唯一戦闘機狙いで撮影に出かけた空軍基地が台南基地であったが、それは出張で台南市に行った際に町の中心地でF-5E/F-5Bを見てしまったからである。市街地で上手くすれば200oで戦闘機の着陸が撮れると確信した私は有給休暇を取り、彼女を伴って汽車で4時間もかけて台南に向かったが、残念ながら雨模様の天気で全くのオケラだった思い出がある。リベンジが出来たのは、それから10年以上後のことであった。 
同じ台湾フリークだったMM君と初めて桃園基地にF-5を撮りに行った時である。夕方 4機のフォーメーションで上空を通過したF-5E/F、すっかり現地第5大隊の機体と思い込んでいたが、尾翼のマークが「丸くない!」 何と台南からの外来機であった。これが私のファーストショットである。